コスチュームジュエリーとは

20世紀初頭、特に第一次世界大戦(1914~18年)の後、戦争で減った男性の代わりとなって、
女性達が労働の担い手となって社会進出をするに従いTPO(time(時)place(場所)
occasion(場合))に分けた装いが主流になる辺りから、その場その時に相応しい装いに
合わせる様に、金やプラチナ、ダイヤモンドやエメラルド等の天然石、高価で希少な素材
では無く、比較的カジュアルに、そして着ている服装に合うかどうかが基準の装身具の
需要が高まります。

それらの装身具が生まれ、当初は呼ばれ方も様々で『コスチュームジュエリー』の他
『ファッションアクセサリー』という呼ばれ方もあったようで『コスチュームジュエリー』
とは明確に誰かが定義付けた呼称では無いようですが、20世紀入り、第一次世界大戦を
過ぎたあたりから人気があり多く出版された、ファッションを中心とした女性向け雑誌の
記事や広告に取り入れられるにつれ、一般化します。

コスチュームジュエリーとは、文字通り基本は『コスチューム(洋服)』に合わせる為の、
素材の垣根を超えた装身具という解釈で、あくまで『ファッション』として捉える見た目の
オシャレさ、貨幣に換算して語られるものでは無いという、新しい価値観での装身具の
在り方として、徐々に一般に広がり、定着します。

   

ロンドンのジュエラー『アスプレー』の1936年の広告  1930年代アメリカア、パーツメーカーのカタログ

19世紀末、フランスにボタンやドレス装飾ビーズを製作していた工房、グリポワ。

女性のみに引き継がれる独特の技術製法は美しく、ルビーやラピスラズリ等の模造を作ることに
成功した初代オーギュスティーヌ・グリポワは、当時の娯楽の演劇の中では、トップスターだった
サラ・ベルナーに贔屓にされ、舞台用の装飾品を製作して才能を発揮し、多くの舞台、オペラ座
等の依頼をこなします。

その娘のシュザンヌの代になり、ファッション界とのつながりが始まり、不動の人気だった
ポール・ポワレ(1879~1944年)、ジャンヌ・ランヴァン(1867~1946年)からの依頼で、
独創的な装身具を造り、美しいドレスを飾りました。

それらは当時の時代感にピッタリで、理想的な模造工芸品という括りでした。

時代は第一次世界大戦(1914~1918年)を超え、空前の乱痴気騒ぎを好む風潮『狂乱の20年代』
を迎え、人々は人工的、皮相的な虚像を好みました。
ファッションも、時代を反映して人目を引くことだけに重要視され、ブティックの店頭や
モデル達をデコラティブに飾り立てることに集中します。

そうして次に登場したのが、ココ・シャネル。
帽子からファッションの世界へと乗り込んだ孤高のクチュリエールは、ぞれまでの贅沢、本物こそ
一番という価値観を根底から覆し、シックさこそが重要という価値観の元、模造宝石のみを礼賛し
自身もそうした品で身を覆います。

シャネルと組んだシュザンヌ・グリポワは美しい模造パールを発明し、シーズンごとに大量に
それらを材料に使った美しい装身具を発表し続けます。

それはシャネルが一時引退した時期でも、継続して造られ、売れ続けていたという事実からも
人気の度合いが判ります。

 

1920年代ランヴァン(工房不明)         1970年代シャネル広告

しかし廉価なアクセサリーとコスチュームジュエリーの差異という観点から見ると、明確に
線引き出来るものでは無く、あくまでも感覚的なものでしょうか。

コスチュームジュエリーとは、高級な素材を使った、ハイプライスの装身具と、廉価な大量
生産される手軽な装身具の間に存在する、服に例えるなら1点ずつ丁寧に製作されるオート
クチュールとファストファッションの間に存在する、プレタクチュールの様な位置づけ。

素材の価格を無視した、独創的で個性的、デコラティブで、着ける『人』や纏う『服装』を
より魅力的に魅せる装身具という解釈と考えます。