世界を覆ったウィルス騒ぎが終わらぬうちに
次なる侵略戦争が始まった世界。
人間の進化、進歩のなさに、一寸気持ちが
滅入る日が続きます。
そんな中で考える、ジュエルの在り方。
身を飾るでもなく、人に見せるためという
わけでもないもう一つの宝石の存在理由
として、心の奥から湧く様に浮かんだのは、
亡くなった人を想う為に存在するという
メモリアルの存在としての宝石。
『忘れる』という人間独特の持つ記憶の
対局に存在する『忘れない、忘れたくない』
という想いを形にしたジュエルが傍らに
あれば、いつでもその人を感じて生きて
いける自分。
悲しみと共に生きる為の道具として、
その人の為だけに在ればいいという、最も
個人的存在としての装身具というのも、
在り方の一つと考える様になりました。
金の重さや、石の大きさや価値の高さなど、
一般的で分りやすい価値判断を無視した物。
今は実像として居ない、亡くなった人を
偲ぶ為の『よすが』として、いつも身に
着けていられるリング、遺髪や写真を入れ
首から着けれるペンダント。
誰かを想う為に存在するジュエルが、静かに
需要がある様に思います。
振り返れば、18~19世紀頃、特にイギリスで
盛んに造られた装身具の中に、そうした
メモリアルとしての宝石が多く存在していた
事が分かります。
画像はヴィクトリアンの18金、エメラルドハーフパールを使った
典型的忘れな草モチーフのリング。裏側には故人の髪を収める
ガラスの蓋が仕込まれて、指に着けると、ロケットの側が指側に
なることで、亡くなっても一体感を求めた結果でしょうか。