大吉原展

日曜日、頂いたチケットにて、上野藝術大学
美術館で開催の、かつて同じ区内に存在した
遊郭、吉原の展覧会へ。

父親(店長には祖父)がセルロイド工場を
営んでいた関係で、多くの家内工業が
あった東京墨田区生まれの店長の母は、
子供の頃に何かの用で母親(店長には祖母)
と出掛け、夕刻時間の帰途の為、近道で
通った玉の井という場所にあった遊郭の
想い出をよく話してくれました。

細く曲がりくねった、人一人がようやく
通れる様な独特の路地に建つ日本長屋に
連なる細い窓には、客を呼び込む為の
娼妓(明治以降統一名称)が首にだけ
白粉を塗り、胸元を開けた、しどけない
様相で、外を見つめていたそう。

娼妓の顔は、その後ろでクルクルと回る
まわり燈籠の色でで淡く彩られ、何とも
言えぬアンニュイな風情があったとか。

江戸時代に栄えた吉原は、遊郭世界の
文化にまで昇格した部分も見られますが、
明治以降,そうしたことが禁止される中
そうした風情とはちょっと違う、表には
決して出てこない影の存在に。

家の事情から望まぬ形で、そうした苦海に
生きねばならなかった女性達に焦点を
当てた大吉原展には、会期もそろそろ
終わりの頃ゆえか、多くの方が来場され
大盛況。

二度と起きてはならぬ文化と、最初の挨拶
には書かれていましたが、最後に展示され
ている、人形師のジュサブロー氏による
吉原一大パノラマに置かれた人形達は、
余りにも見事。

『悲しい女たちの棲む館ではあるけれど、
それを悲しく作るには、あまりにも彼女
たちに惨い。女たちにその苦しみを忘れて
貰いたくて、絢爛に楽しくしてやるのが
彼女たちへのはなむけになるだろう。
男達ではなく、女達にだけ楽しんで貰い
たい』という言葉が捧げられていました。

そんな言葉が心に沁みる展覧会。

今度の日曜日迄とか。