巨匠逝く

日本人で唯一フランスのオートクチュール協会に
加盟し、高級注文婦人服を日本人らしい感覚で
表現した、ファッションデザイナーの草分けの
一人森英恵さんの訃報が昨日朝、報じられました。

店長がまだ若い学生の頃、病院の院長夫人の母の
友人のお伴で、初めて見に訪れたファッション
ショーたるものが、今思えば森英恵氏のオート
クチュールコレクション。

表参道に鎮座した、鏡張りのモダンなハナエモリ
ビルの最上階は、そうした顧客の為のシックな
サロン。

大きな会場で、報道やファッション誌の関係者が
並ぶショーとは違い、本当に注文する顧客だけの
為のショーであったと記憶します。

注文する奥様のお供で来た、レディーズメイドの
如く、並んだ椅子の末席に着いた店長の目の前に
居並ぶ顧客。

雰囲気のあるマダム達は森氏への敬意の為、全員
森英恵氏のクチュールを纏う、おそらく大企業の
会長社長夫人から各国大使館夫人、実業家。

そしてその中に一人、一寸違うオーラを放って
座していたのは、インドネシアのデヴィ・スカルノ
大統領夫人。

クラシックの音楽を背景に、ショーが開始されると
当時パリコレに登場する有名モデル秀香さん筆頭に、
艶やかなドレス類が、しなやかな動きと共に
番号札を持って、お客様が見守る中、泳ぐ様に回り
始めました。

ドレスは比較的厚めの布地でデイタイムに装うもの
から始まり、薄手の透け感のある夜のソワレへと
変わり、最後マリエと呼ぶウェディングドレスで
締めくくり。

森英恵さんのシンボルである、バタフライの
モチーフが、小さなビーズやスパンコールで、
おそらくパリの刺繍工房ルサージュで刺繍
されたであろう色とりどりのドレス達は、夜空に
上がる花火の様にキラキラとスパークし、目が回り
そうな美しさのまま、ランウェイの中を飛んで
いました。

小一時間のショーが終わると、軽いお茶とプチ
フールが出され、それが終わると、ラックに
掛けられた、それまでモデルが着ていた服達が
ズラリと目の前に出され、試着や吟味の結果、
それぞれ顧客に担当に注文が寄せられるという
仕組みでした。

超一級の布地を使っての、殆ど手縫いという
見事な仕立ては、人間業とは思えない程に
美しく、細部にわたって丁寧に造られていた
のを今も鮮明に思い出す事が出来ます。

独特の光沢と柔らかさのあるベルヴェットの
ドレスを「化繊のベルヴェットですか?」
と聞いたら「いえオートクチュールは化繊は
ほぼ使いません、シルクです」と言われ、
ヴェルヴェットにシルク製が在るのを知ったのも
この時が初めてで、失敬な事を聞いてしまった
己の無知さを恥じた次第。

何より一番驚いたのは、ショーを眺めたデヴィ婦人、
財界大使館のご夫人方が、1時間ものショーの中
姿勢良く、1センチも微動だにせず、まるで人形の
様に固まって、ショーを眺めていた事。

バタバタ足を組み替えたり、腕を動かしたり、頭を
フラフラ動かしたりしていたのは、多分店長だけ
だったかも。

レセプションに出席する機会が多い立場の人が
公の場で見せる訓練の賜物の様なマナーのキチン
とさに、ひたすらひたすら驚きを持って眺めた、
日本の社交の世界だったと思います。

そしてこの時に初めて見たのが、ドレスと共に
あしらわれていた、コスチュームジュエリーと
呼ばれるデコラティブなアクセサリー類。

1980年代の頭、そろそろバブル時期が到来する
一寸前の頃の楽しい記憶。

森英恵さん、どうか安らかにお眠りください。